京都旅行に行った時の話
旅行2日目の朝、私と母と息子(3歳)は伏見稲荷大社を訪れた。この神社には千本鳥居と言われる無数の鳥居が、まるで真っ赤なトンネルのように神社の奥まで並んでいる。外国人観光客にも人気の京都の観光名所のひとつだ。
私たちは鳥居を一通りくぐり抜け、神社の奥から入り口まで戻ってきた。入り口付近にはたくさんの屋台とお土産売り場がある。私は昨日買えなかったお土産を買うため、そのうちのひとつの店舗に入った。
店内には真っ赤な台の上に、八つ橋や煎餅などの京都名物が並んでいた。値札も手書きで書かれており、昔ながらのいい雰囲気がある老舗の土産屋だった。
私は義父母に買っていくお土産を悩んでいた。
職場や友人に買っていく土産はすぐに決められるのだが、義父母となるとどうしても迷ってしまう。義父母は旅行によく行かれるので、定番のお土産を買っていっても喜ばれないのではないか、かといって変わったものを買っても京都感がないのではないか。そんなことを考えていた。
私が土産に悩んでいる間、息子はしびれを切らしたようで、歌をうたったり、店内をぐるぐるまわってみたり。彼からすれば土産売り場は退屈だろう。「おいしそうなもの」がたくさん並んでいるのに食べることができないのだから。
そんなようすを見かねた店主のおばさんが
「ぼく、これたべる?」
とピンク色のかわいい棒付きの飴を持たせてくれた。
彼は急にしゃべりかけられドキっとした顔を見せたが、すぐに飴をギュっと握りしめ、今度はうれしそうに店内をはしりだした。店主のおばさんも彼のうれしそうな反応をみてよろこんでくれているようだった。
しかし、私は別のことを考えていた。
ーーこの飴は食べられるだろうか
彼には食物アレルギーがある。たった数ml牛乳をなめただけで笑顔ではいられなくなる。牛乳そのものを飲まなくても、乳成分の入ったものを食べれば同じだ。だから原材料のわからないこの飴を安易に口に入れることはできない。
もちろん、店主のおばさんにこの飴の原材料を聞けば教えてくれるかもしれない。しかし、せっかくのご好意を質問攻めで返すようなマネはしたくないし、仮に「牛乳なんて使ってないよ」と言われても、”命にかかわること”だから簡単に信じるわけにはいかない。だから私は原材料を聞こうとは思わなかった。
喜んでいる彼を尻目に私はそそくさと「生八つ橋」をもってレジに向かった。店の外にでると
「飴ちゃんは無くさないようにパパが持っとくね」
と子どもをさとし、飴をバッグに入れた。
こんなとき私はいつも悩む、「これは乳が入ってるかもしれないから食べれないんだよ」と子どもに伝えるべきなのかと。
子どもだから言ってもわからないなどと思っているわけではない、3歳は言えばわかってくれるし、彼は今までの経験からも自分は「みんなが食べれるものを食べれない」ということを十分理解している。
だからわざわざそんなことを思い出させたくないし、今はまだ向き合わせたくないのだ。
というのは建前で、
本当は私自身が子どもの悲しむ顔を見たくなかたっり、泣く子をあやすのがつかれるから都合のいいように対処しているだけではないのか……とも思う。
バッグに入れた飴を彼は食べたいとは言わなかった。
帰り際、コンビニで ”彼が食べられる飴” を買った。